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はしうた特集記事

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学習会 はしうたミニ学習会・2003年8月31日(日)

ハンデを持つ 人達の恋愛、結婚 について

ハンディキャップ者の恋愛観・結婚観については普段話し合われる機会がありません。はしうたでは、この大事なテーマについてミニ学習会を持ちました。障害者、健常者合わせて11人が出席しました。半数が身障者でした。いくつかのハンディキャップ者からのレポートやインタビューなどの後、フリートークをしました。

なお進行役は、が務めさせていただきました。

レポート インタビュー フリートーク


O:それでは、何人かの方のレポートと取材テープを用意しましたので、それをまず紹介したいと思います。

最初にPさん、Qさんご夫妻です。Pさんは御夫婦共に元ハンセン病の方で、現在も岡山県の長島愛生園で療養生活をしておられます。愛生園の中で一番最近(1998年)結婚された御夫婦です。と言っても、ご主人も60歳を過ぎていますし、奥さんも50歳を過ぎておられます。ハンセン病の方というのは、私達とはまた置かれている状況が違っています。それでその方達の思いを書いていただきました。

資料1 Pさんレポート

「夢と現実」

 10歳の時に発病(ハンセン病)し、現在の国立ハンセン病療養所長島愛生園に入所して56年が過ぎました。そして私も67歳になりました。56年間の療養所生活の中で幾度となく思いましたことは、もしこのような病気にならずにいたら、どのような生き方をしているだろうか、と。子供の頃は将来の夢よりも現実的にひたすら病気が治ってほしいの一念であったように思います。しかし、青年期頃になりますと愛生園では野球が盛んで自治会も野球部に対し、野球用具購入費として予算計上し選手は正式にユニホームを着て試合をしていました。試合相手は外部からのチーム、職員(医者、事務官、調理師等)でしたが、結構試合数はありました。その頃は今のようにテレビもありませんから野球を観戦する入所者も多く、唯一の楽しみのようでした。ですから、野球選手はまるでスターのような存在でした。幸いなことに私は19歳から23歳までその野球部にいて入部して1年後から常に3番か4番を打ち、退部するまで続けました。その頃の憧れはラジオ放送で知る高校野球でしたので、甲子園でプレーすることを夢見ました。そして病気にかからなければ、プロ野球選手を目指していたかも…と、まさに夢のまた夢のようなことですが、挑戦できない吾が身を情けなく思った時代もありました。

 私は5年前、61歳で結婚しました。晩婚もいいところですが、結婚してはじめて実感しましたのは、愛生園での結婚は子供を産んではならない、産めないことを条件に結婚が許可されてきた歴史があり、当時の若い夫婦の切ない気持ちが晩婚の私にも痛いほど伝わってきました。

 もし病気にならなかったら、今頃は子供達、孫達が…と思うことしきりです。そして、病気にならなかったら、どんな人生であったか、二度ない人生、56年間を複雑な思いで振り返るこのごろですが、いずれにしてもハンセン病に夢を喰われてしまったようです。

O:Pさんの方には、青年期にどんな気持ちでいたかも触れてもらっています。異性とのことについては、私が電話でお聞きしましたので、後で話をしたいと思います。

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資料2 Qさんレポート

「かなわぬ夢」

 もしハンセン病になっていなかったら、こういう思いを抱く人と同じように、今の境遇になっていなかったら…とそう思うように、私の場合、もしハンセン病になっていなかったら花屋を開いて色々な花を店に置き、花の名前、色々な事を勉強し、その花で皆の気持ちを和らげ、心豊かになれる、そんな花屋を開きたいと小さい時からの夢です。小さい時からあれもしてみたい、これもしてみたいと思っても10歳の時、愛生園に入所した私には島から出るという勇気と、たとえ島から出ても病気のことに対して常に気になっていました。病気の事を隠す事で今の幸福に感謝することに小さい時から自然に身についていました。

 楽しい思い出や色々な事を託す子供や孫がいたら、もっと生き方も違っていただろうか。今は年齢を重ねたこともあって主人と話をする事が多くなりました。それでもいくつになってもたくさんの夢は持っていたいなーと思うこの頃です。

O:Qさんのことも後で話をします。

 

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資料3 Rさんレポート

 二分脊椎症という障害を持って生まれた私。クラッチといわれる杖を使っての歩行。または車椅子を使用。見た目からも足が悪いのはわかる。がしかし、私の障害はそれだけでなく排泄障害もあり、これがかなりのネック。恋愛にも大きく影響あり…。見た目で障害者である事はわかるので、まだすくわれるのですが、やはり排泄障害の事を理解してもらうのは無理だろう…と勝手に決め込んでいて、なかなか恋愛をする勇気はなかった。もちろん皆と同じように恋はするけど、それを相手に伝えたりする勇気はなかなか持てず、あまり恋愛には興味のない、“フリ”をした事もありました。どうせ付き合うなら私なんかより普通に歩ける子がいいに決まってるって勝手に決め込んでた。だから、なんとなく“好き”って思う気持ちは自分の中だけにとどめておいたりしてました。

 高校生の時、TVで「車椅子の花嫁」というのが放映され、車椅子でもちゃんと恋愛&結婚が出来るんだ!ってすごく感動&勇気をもらい、思い切って友達に相談してみたら、「恋する気持ち、人を好きになる気持ちに、健常者も障害者もないよ。自分から殻を作ってしまったら、誰も入れないよ。まずは自分で自分を好きになって一歩前に進んでみたら?」っていうような言葉をもらいすごく嬉しかった。すごく勇気が出た。私を一人の人として見てくれてるんだって思いました。その言葉が私の心の中の何か大きな壁みたいな物を破り、少し前向きになれた気がしました。

 初めてお付き合いをした人は短大の時。高校の同級生と。すごく普通に楽しくてそれなりに恋愛を楽しんでました。けど、どこかでいつも本当に私といて楽しいのかな?とか、足の悪い彼女でイヤじゃないかな?とか、嫌われるのがこわくてドキドキしてました。自分の排泄障害の事も切り出せず…、足が悪いだけじゃなくて、排泄障害もある事を話したら、きっと嫌われるんだろうな…とか、色々勝手に頭で考えてしまって…。いつか話さなきゃ…って毎日思って、それがすごく憂鬱で結局何もはなせないまま、THE END

 こんなに色々考えて、自分の事を伝えるのにこんなにしんどいなら、もう恋はしなくていいや!私は一生一人で生きてく!なんて思った事も。腎臓も悪くなり、人工透析をするようになり、ますます将来の不安もあり、恋愛どころではなかった時、同じ二分脊椎という障害を持ってる友人にいい人がいると紹介され、会ってみたら、すごく話しやすく、サラッとしている。その人も同じ二分脊椎という障害を持っていた。だから話しやすかったのか?というと、そういう訳でもないのでしょうが、その人と話しているとすごく自分が自然体でいれた。その相手こそ今の夫です。その時はまさか結婚するとは思っても見ませんでしたが…。しかも彼は東京、私は大阪。けど、自分らしくいれる相手。すごく自分を出せる相手でした。一緒に生きて行くには、一番いい事なのかなあーと。結婚は本人同士の事だけではなく、家族の問題でもある。彼の母親は「何も障害を持ってるあなたが自分より重度の障害を持つ人をお嫁さんにする事はないでしょう」と反対したようですが…、最後は夫の説得(?)で納得し、結婚の承諾を得て無理ゴールインする事ができ、現在結婚5年目を迎えている訳です。私達夫妻2人と犬1匹で楽しい日々を送り、今は本当に幸せいっぱいです。

 一時は恋愛はしない、一人で一生を生きていく、なんて思ってた私が…。やはり、私といると相手の重荷になるのでは…ってついつい思って、最初の一歩が踏み出せないでいた私。友達の言葉で勇気をもらい、一歩踏み出してみれば意外と何でもない事だったりする。自分の事を好きになってみる。本当に自分の素直な気持ちを表現するって難しいけど、一番大切なんだ!って思います。(私の体験から痛感!(笑))

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資料4 Sさん レポート

 私は、知多半島の先端の小さな漁村で生まれました。病院もなく産婆さんに取り上げていただきました。たぶん、出産時に両股関節が外れていたと思います。しかし、なかなか上手に歩行できない私の足の異常にまわりの人が気づいたのは、3歳でした。

 すぐにそれから治療を開始しました。当時の名医にかかりましたが、技術の発達していない頃です。今は間違いとされているギブス固定をされました。また主治医は、母に手術を勧めました。母は、大変悩みました。同じ病室の子が手術に手術を重ねていること、経済的なこと(両親は、私が1歳の時に離婚しました)悩んだ末、手術しない道を選択しました。今思うと当時の母、大変だったと思います。成長してから聞いたのですが、キブスで両足を固められ、かぜで小児科にかかったところ、医師に「ああ、なんてあわれな子でしょう。」と言われ、悲しかったと言っていました。

 ここで、手術をすると障害認定をされたと思いますが、それをせず、その後大人になるまで整形にかかることがなかったため、そのまま小学校へとすすみました。私の足が人と異なることは、物心ついた頃には分かっていました。足の痛みがちょくちょくあったこと。走ることがとても苦手だったこと。何よりも破行のために歩き方で質問を受けたり、からかわれたりしました。当時、父がいないのも珍しく、そのことも合わせてよくいじめにもあいました。両方とも事実ですので言い返すこともできず、ただ泣いていました。でもほとんど家でそのことを言いませんでした。夜遅くまで働いていた母を悲しませたくなかったからです。自分の胸にそっとしまっていました。ここでのトラウマは、意外に大きく20台後半まで足のことを問われても自分から話すことがなくて、ごまかすことがしばしばでした。今も本当につらいことは、ある程度の歳月を経て消化されないと人に伝えることができません。

 転機は29の時でした。たまたま同じ職場に同じ変形性股関節症の人がいて、その人が療養休暇をとって手術をすることになったのです。そして、名古屋の病院まで連れて行ってくれました。今まで逃げてきたことにいよいよ向かわないといけなくなりました。私は進行性の病気で放っておくと歩けないこと、大手術や長期のリハビリが必要なことにショックを受け、病院で倒れそうになってしまいました。ちょうど、その2ヶ月前に夫と付き合いだしましたが、別れるしかないと思いました。でも、夫の方が同じ病気の友人がいたため、私よりも詳しく動じることがありません。ついでに当時毎日悩んでいた親戚の借金問題もぶちまけましたが、変わりませんでした。今までずっと自分の中で処理していたことを初めて全て受け止めてくれた人に出会うことができました。

 夫にこれを書く前に「ねえ、結婚を決めた時、悩んだの。」とたずねたら「それは悩んだよ。やり直しはしたくないし、全てを含めて一緒にやっていきたいと思ったから。」と言っていました。たぶん結婚について悩んだのは、夫の方かもしれません。「両親に私の足のことを伝えた時、それでもいいといっていて驚いた。」とも言っていました。だって手術は、目の前に迫っていたからです。とはいうものの私は、なんとか、がんばって出産と子育てをひと段落させてから療養しようと考えていました。しかし、「そんなに足はもたないよ。」という医師の言葉どおり長男が1歳の時に障害認定をしていただいて、足の治療を行いました。

 手術もリハビリも松葉杖での子育てもけして平坦な道ではありませんでしたが、今の私には宝物のような大切な経験となっています。

 最後に結婚前、走歌に参加させていただき、Oさんをはじめとするいろんな方たちの前向きな生き方にふれたことが、術後の生活にとても光を与えてくれました。なんといってもOさんのように障害者手帳を胸をはって使いこなしている人を生まれて初めて見たからです。私も手帳を使おう。もう、足のことを隠して生きるのをやめようと思いました。ありきたりな言い方で恥ずかしいですが、勇気をその時もらったのだと思います。

 最近、知人、友人の離婚話をちらほら聞きます。担当している子供達にもそういう家庭が増えてきました。結婚について話し合いをされるそうですが、障害のあるなしにかかわらず、考える必要のある課題だと思います。最初から障害のある方も見えますが、最近厳しい社会情勢のため、結婚後精神的な疾患にかかる方も増えています。障害者だけの問題ではないことがここからも分かるように思います。

Sさんの補足
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O:レポートは以上ですが、それには書かれていなかったことを補足します。

Sさんですが、一つは出産問題。先天性股関節脱臼ということでお子さんが二人おられますが、当然お腹が大きくなってきますと足への負担が大きく、歩くことさえできない体になっていったようです。お一人目の子供さんの時は、どちらにせよ自分の足も間もなく手術するのだから、とにかく無事に子供を産むことさえ出来たらいいと思われたそうです。お二人目の時は、すでに足の手術が終わっていましたので、この出産と同時に自分の足がどうなるかという不安がある中で出産されたそうです。今から話すことはご主人にも言っていないことらしいですが、ベビーカーを押す時に術後で歩くには松葉杖を使っていてベビーカーを押すにも松葉杖を使いながら押していたそうです。万にベビーカーを落としてしまったこともあって、困っていた所に通りがかりの人に助けてもらったそうです。それを家族の人に言えば外へ行くなと言われるかもしれないので、隠し続けたそうです。

Sさんレポートへ戻る

Pさん、Qさんですが、恋愛とかを考える世代の時にどういうことを考えていたかをお話します。皆さんから見たらどう思われるか分かりませんが、初めて付き合った方というのがQさんなのです。60歳になって初めて女性と付き合った。Qさんもまた50歳前後で初めて付き合った男性がPさんなのです。

 なぜ、そういうことになってしまったのか?

 Qさんの状況を言いますと、24歳の時に愛生園を離れて、同じ園内の御夫婦共にハンセン病という方が横浜の中華街で食器店をされているということで、そのお二人を頼りに行かれたそうです。それが初めて愛生園から離れた日になりますが、行った先は中華街の中の料理店での配膳の仕事でした。私自身見えてないので、Qさんの手のことに関しては全く知りませんでした。皆さんの両手を見ていただいたら分かると思いますが、極端に大きさが違うということはないと思います。しかし、Qさんは明らかに左右の大きさが違い、左手が異常に小さいのです。これは病気のせいなのか、手が成長してないのです。それプラス、握力、指先の細かい動きができないという問題がありまして、仕事先でもやれることとやれないことが制限される。そういった中で自分が元ハンセン病であることは隠していましたので、お店の中では、「小さい時に病気をして手が不自由なのです。」と言っていたそうです。24歳という年頃ですので、周りからも恋愛、結婚の話が出て具体的にあの人はどうかという話になったこともあったそうですが、一つはその周辺の人々が今と違ってもっと中国人に対する理解がなかった頃です。中華街ですので、そういった話に上がる人は中国の人達であったということで、国籍とかいろんなことを考えると進まなかった。でも、本当を言えば、自分の立場を話が進めば嫌でも、自分は元ハンセン病の人間であることを言わなければならない。そのことを隠して生きていくことは辛い。

 お休みの日とかは、どうされていたのかとたずねると、いつも部屋の中でいて、仕事先の仲間と買い物に行ったりとかしていたそうです。こと、恋愛とか結婚に関しては、自分にとっては関係のないことだ。自分は考えてはいけないことなのだと、自分の感情を抑えてきたそうです。それが私の当たり前の人生なのだという、感覚でおられたそうです。十数年そこで勤めておられましたが、体調の悪化で愛生園に戻って来られました。

 女性という立場でハンセン病の人達は、あまり症状が出ていなくても出産となると体質異常がおき、ハンセン病の症状が出たり、悪化したりするというのを今まで見てこられていました。結婚、出産となるとそういうことまでを考えていかざるを得なかったということです。現在、ご主人のPさんと結婚をするに至るまでには、自分の立場、症状などいろんなことを隠す必要がないわけです。自分というものを隠さずにありのままを分かってて結婚できるということは、いかに楽であるかとか、それは結婚はもちろんですが、Qさんがおっしゃるのは、こういうことがあったそうです。中華街で勤めていた時の友達が岡山に来たというので、岡山駅で会って話をしている時にいろいろと聞かれて、隠しに隠してはいたのですが、とうとう隠し切れずに「愛生園という療養所で生活をする元ハンセン病なのです。」と話されたそうです。するとその友達は、それっきり連絡が途絶えたそうです。だからQさんにとってみれば、自分というものをそういった形で見られることがいかに辛いことか、裏を返せば、自分というものがそのままで付き合っていけることがいかにうれしいかをおっしゃいます。走歌のメンバー、私達はQさんが元ハンセン病の方であると分かっていますし、特別視する気も私達はないし、普通の接し方が心から一番うれしいとおっしゃっていました。

Qさんレポートに戻る

 次に、御主人のPさんです。Pさんの結婚問題については、ご両親がよく島まで来られていましたので、その時Pさんを前にお父さん、お母さんが言われていたことは、いつも同じでした。お母さんは、できれば島以外の人、元ハンセン病の人達ではなくて健常者なのか、他の障害を持った方なのかは、分かりませんが、とにかく元ハンセン病以外の人と結婚してほしいと望んでいたみたいです。それに対してお父さんの方は、Pさんがいいならば別にハンセン病の人でも構わないということで、よくPさんの前で口論していたそうです。

後にPさんはいつかは島の外で生活をしてみたいという思いがありまして、20何歳かの時に島を離れます。島を離れてお父さんの関係で鉄工所に勤めます。その時はさほど特別なこともなかったそうです。次に出てくるのが、一旦島に帰って車の免許、トラックの免許を取って島を離れます。離れた先がこの大阪の確か住友金属関係の運輸部とお聞きしたと思いますが、そこでトラックの運転手、物品を運ぶというお仕事をされたそうです。

 それで、ある会社に物を運ぶ時にそこの守衛室みたいな所へ行きまして、手続きをして荷物を入れるのですが、そこである女性と知り合います。非常にPさんにとっては、好印象の女性で、いつも自分が行くと向こうからにこっと挨拶を交わしてくれるという方だったそうです。Pさんもそういった中で手紙を書きます。その手紙の文章の中には、初めから女性と交際する時は、自分の立場をすべて明らかにしようと、要するに自分は元ハンセン病の人間であると、その上でもし付き合ってもらえるようなことがあったら、将来も考えられるのではないかということで、すべては手紙を渡し、向こうがその中身を見て元ハンセン病という人間に対してどういう判断するか、すべてを委ねるつもりだったそうです。

 ところが、その手紙は相手に渡す機会なく終わったのです。というのが突然、Pさんのハンセン病の症状が悪化したからです。とてもではないが仕事ができない、車の運転もできないとアパートで一人暮らしをしておられましたが、手紙は常に自分の服のポケットに収めておいて、運送という仕事ですので、毎朝行った時に今日は車をどこに動かすという指示を受けますので、いつ突然女性の会社に行くか分かりませんので、いつでも渡せるようにしておいたそうなんですが、そういった時に限ってなかなかそこへ行く仕事がまわって来なかったそうです。まわって来ない内に先程言いましたように病気になって、とてもじゃないけど飛んで園に帰って療養生活をしなくてはならないということもありまして、アパートも会社に対しても全て放りっぱなしで帰って、後に会社に対しては手紙をもって、帰らざるを得なくなった状況を伝え、侘びをしたということです。Pさんにとって唯一の女性、そういうふうな可能性があったのはこの1回限りでこのような状況で終わったそうです。

Pさんレポートに戻る

 



次にテープでご紹介する方は、私達と同じ視覚障害者のTさんです。

資料5 Tさん

 私が10歳の頃のある日曜日、学校の運動場で遊んでいたところ、その日は同窓会があって次々と卒業生らが学校へ集まって来ていました。その頃少しは見えていたのですけども、その集まって来る卒業生の中に3,4歳ぐらいの女の子が両手に全盲の両親の手を引いて正門から運動場へ入って来る姿を見た時、何となく私は大変だなとその頃思いました。年頃になった時、私は完全に全盲になりました。

 異性に興味を持つようになりましたけれども、弱視か晴眼の女性に興味を持つようになりました。♪好きと嫌いじゃ恋にゃならん♪と歌にもありますが、好きになってしまえば障害だろうと肌の色がどうであろうと関係ありません。だが、それ以前は全盲の女性、障害のある女性に対して好意を持つ、ましてや結婚ということを意識することはできませんでした。今も変わりません。

 私自身も障害があるのに、差別しているなと自問自答してはいますけども、やはり私自身が不自由だから、不自由同士で生活している人を見るとすばらしいなと思うんですけれども、私に置き換えた場合には、とてもじゃないけどやっていけないというのが、私の本音です。私は1回結婚をし、子供を儲けましたが今は一人身です。学生時代は結婚はできないと思っていました。現在、経済的に貧窮というかしてますけども、もし経済的に豊かであれば、また弱視以上の人となら結婚するチャンスがあったら、結婚してもいいかなということであり、心の中で何か抵抗はあるけれどもそういう気持ちには変わらないということです。

O:誤解されないように、全盲の人が嫌いというのではなくて、Tさんの意見の中で恋愛とか先に好きになった人が全盲の人であったら別ということです。自ら全盲の女性を選ぶことはできないと、でも好きになった女性が全盲なら別だということです。



資料6

ご主人:Uさん

奥 様:Vさん

お二人ともが車椅子使用者のご夫婦にインタビューしました。結婚されて15年になられます。ご主人のUさんは私Oと知り合い20数年になりますが、その当時、Uさんは松葉杖の生活、お父さんは全盲、お母さんは車椅子、お兄さんは知的障害でした。働きに出るということをできる人は一人もおらず、松葉杖のUさんが家族の中で最も障害が軽く、家事一切をしておられました。後、Xさんと結婚されました。

Oがインタビューさせていただきました。

Q.結婚された15年前は、お二人の障害はどの程度でしたか?

Uさん(ご主人):3輪の自転車には乗ることができました。壁や手すりにつかまらずにしゃがむことができていました。

Xさん:足が全く動かず、左手は普通に、右手は少し動きにくいが布団をたたむくらいにはできていました。

.出会いはどこでしたか?

X:偶然隣に引っ越してきました。名前は肢体不自由者の会で聞いたことはありましたが、どんな人かは知りませんでしたので、この人かと思った程度でした。

(お住まいは、県営住宅の1階が身障者用住宅になっており、そこで隣同士になられました。)

X:一人暮らしでしたので、高いところのものを取ってもらうなどUさんを頼りにしていました。

Q.出会いからどのように進展しましたか?

X:引っ越してきてから半年後の正月に打ち明けられました。でも、このような重度の体ですから結婚を毛頭考えたこともないし、できるはずがないと思っていました。できない、できないと1年あまり言っていました。そんなうち無理が過ぎたのか首を痛め病院で薬をもらい、飲んだらとたんに腕が動かなくなりました。薬の副作用ですから、もう治らないと思いました。入院したくても、その病院には設備がなく断られ、どうしよう、どうしようと言っていました。そんな時、「だから言うたやろ、結婚しようって。」言われました。私は今まで以上にいろんなことができないからと言いましたが、「僕が何とかするから。」と言われ、私はその気になりました。

U:今は逆転して守ってもらってる(笑)。単なる結婚しようかではなく、いろいろ相談しました。苦しみも2倍になるということも話しました。

X:喜びは倍に、苦しみは半分にという話もありますが、私は苦しみも2倍になると躊躇(ちゅうちょ)しました。

今も思いますが、動けなかった時、結婚しようと言ってくれた言葉はありがたかったと思います。

3歳の時から、ポリオで今のような体になりました。すぐ下の弟に、弟が飲んだ時このような障害を持つ姉がいる人には結婚させるわけにはいかないと、付き合っていた彼女の親から言われました。早く家から出てやらなければと思いました。経済的な問題もあり、なかなか機会がありませんでしたが、友人から県営住宅の身障者住宅を知り、それなら私にも何とかなるのではと思い、ここに来ました。すぐ、私は後悔しますが、ここに来た事だけは後悔していません。

Q:結婚するにあたって経済問題を考えましたか?

二人:節約すれば、年金でなんとかなると思っていました。

Q:奥さんが薬で大変な状態の時Uさんはどんな気持ちでしたか?

(Uさんが照れくさそうにしているので、Xさんが)

X:「私はこんな体だから炊事もできないし、あなたに何もしてあげられないのよ。」と言いましたら、「してもらうだけが喜びじゃないよ。してあげるのも喜びやで。」と言ってくれました。

U:周りからいろいろなことも言われました。弟さんから「寝たきりでもいいのか。」と言われました。

X:先程の弟と別の弟から「結婚しないように言われました。」私の方が年上だし、障害も重いし、「お姉さんがUさんの顔色を見ながら生活する姿を僕が見るのが辛いから、結婚するな。」と言われました。

Q:今はその弟さんとどのような関係になっていますか?

X:今はその弟がUを一番大事にしてくれます。

U:一緒によく飲んでいます。(笑)

O:お二人への質問の後、最後に「ハートがあることが大事で、それが普段の生活の中に当たり前になっていることが大事。」と語られました。駅までUさんが車椅子を乗りながら私に「自分に何かあった時、Xが一番よく考えてしてくれることを僕は信じている。Xもそれを信じてくれていると思う。」とおっしゃいました。

O:今日は大変な中でもわりと良かったなと、皆さんに聞いていただいても気持ち的には救われる部分があった人達のことをご紹介しましたが、決してそうではないという状況をあげれば、例えば身障手帳を持つまでとはいかなくとも、将来失明するだろうという病気を患って、それを付き合ってる彼氏に伝えた途端に別れ話が出てきたとか、それと今日レポートいただいたRさんがおっしゃっていましたが、Rさんの透析で一緒になる方がもう10年程も前の話らしいですが、結婚の日取りすべて決まっていて、話も順調に進んでたはずなのが透析をしなければならなくなり、その途端に先方のご両親が子供の産めない人ではうちの嫁になってもらったのでは困るということで破談になり、本人は一時期自殺までも考えたということです。今は10年も経って多少癒されたこともあって、そういったことも自ら口にできるようになって、Rさんに話したんだと思います。

 また、被爆者の女性の方で、やはり同じように結婚の話が進んでいて、ところが長崎で被爆して髪の毛が抜けてその結果、「この話はなかったことにしてくれ。」と言われて、破談になった女性から直接聞いたこともあります。

 結婚した後でも、私とかAさんは、国立神戸視力障害センターという所を出ていますが、そこで離婚をしていったという、要するにご主人もしくは奥さんが視覚障害者という立場になった。でも、家族はそれに対して協力的ではなかった。そしてその健常者の奥さんなり、ご主人の方から「別れてくれ。」と言われて止むを得なく別れたという方からも、直接会って普通の話をする中で、そういう人生をたどってきたという人達にも出会って来てるんです。だからまだまだ、そういった部分、理解もされていないし、難しい壁があるんですが、こっから先は皆でいろんな意見を出し合って、結婚したての人も二組もいるし、二組ともがそういったことまで考えてたかどうか僕は分からないし、少なくとも二組のご夫婦に関しては、いつまでもいたわりあってくれると思うので、後は独身の人達もいるし、いろんな意見をここで出していって下さい。

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**フリートーク**

O:Aさんからどうでしょうか。今日の話を聞いてでもいいし、自分の体験談でもいいし、周りで起きてきたことを見てきてでもいいし、何でもいいので言って下さい。

A:今日は、レポートいただいた方からの話を聞いていたら、やっぱり結婚されて夫婦になっていいなという印象ですね。だから、その生い立ちとか状況はいろいろ違っていても、やっぱり伴侶になる人、お互いに選んでやってこられた方ばかりなので、その所では相手を見つけて結婚して夫婦になるっていいものやなと思います。やっぱり、私自身も結婚というのは諦めてないです。

 私自身が結婚に対して消極的やったし、今でも機会があってもそういう部分はあると思います。今は49歳ですけども、若い時、10代、20代はもっと惚れっぽかったです。ちょっかいを出すというか、自分から打ち明けるまではなかなかいかなくても、自分で見ても惚れっぽかったです。

 結婚というと、縁談の話もありました。それは20代後半でぷらぷらしてた時で、精神的に弱かった時でした。仕事を始めた時でもあり、さらに精神的に行き詰って30前に自殺未遂の旅をしてますけども、その前ですからね。病院勤めしていて、収入はちょっとあっても視覚障害者だったということもあるし、これは別に視覚障害者同士の結婚を嫌っている訳ではないです。でも自分の中では結婚までできる状態ではなく、ありがたい話であっても「考えさせて下さい。」と自分から断っているような感じでした。病院勤めでは、勤務先を3回変わっています。最後は精神的に一番不安定な時期やったからなかったけど、その前の2件は好きになった人がいました。彼氏がいるということで振られましたけども。

 その当時、結婚というのは自分の目のことを一番理解してもらっている人がいいなと思っていましたが、相手が障害者であれ、健常者であれ、それは別に今でも思うんですけども、お互いに好きになったら先程のTさんの話でもあったように相手が誰であれ私は構いません。別に国際結婚でもいいと思います。なぜかというと、私自身ある国に行って知り合った人がいました。そういう出会いがあれば、何人であっても、自分の視力のことさえ分かってもらえれば、誰でもいいと思っています。そういうことが、ハンデを持つ人達の結婚とか恋愛とかの話を聞いて感じたことです。

 Bさんは、結婚についてどう考えてますか?

O:そう言えば、今年の運動会で「50歳までに結婚します。」と宣言してましたね。

B:確かに50歳までに結婚したいという宣言をしましたけども、実際の所は仕事のこと経済的な問題もあるので、たとえ好きな人がいてもすぐにプロポーズというのは難しい問題ですね。僕の場合は7年前に5年間勤めた会社を辞めています。その後は、パソコンのスキルアップというか、勉強をして在宅で仕事というほどでもないですがやっています。本格的に給料をもらうまでにはなっていないので、結婚どころではないというのが、正直言った所です。

 Aさんが言っていたようにたとえ相手が障害者であっても、同じ耳の聞こえない人であっても、聞こえる人であっても、外国人であっても構わないですけども、とにかくお互いに尊敬し合える間柄であることが大事であると思っています。少しでも相手を軽蔑する気持ちがあると、やっぱりうまくいかないのではないかと思います。少しでも相手の良い所を見つけて信頼し合えるような関係ができたら結婚につながると思うんですが。

 現在の所は、グループ活動ではお会いする女性は何人かいますけどもお付き合いをする関係の人はいないです。その中でも特に私に理解を示してくれる人もいなくはないけども、例えば耳の聞こえる人であれば、付き合いを申し込んだとしても本当に付き合ってくれるのか、本気なのかどうかを伝える人がいないですね。今の所は、経済的な基盤というか仕事に就いてしっかりとやっていくというのが私の状態です。仕事をやっている時代に、ろうあ者の友達から紹介されて会ったりもしたんですけど、結局はお断りしたんです。自分に自信が持てるまでは、まだ難しいなと思います。とりあえず目標としては、50歳までと思っています。今は、45歳です。

O:Bさんのお話を聞いて何かありますか?確かに経済的な問題というのは、ありますよね。金は天下の回り物、嫁さん探しと同時進行でやって下さい。私は、震災までは借金は全くありませんでした。しかし、経済的には余裕があったとは言えません。震災によって住まいと仕事と全てを失い、逆に750万の借金を抱えた時、経済問題を考えたらいつまで経ってもやってられないと思い、開き直りました。借金も含めて私の状況を理解してくれる人が現れればそれで良しと考え、現れましたので、何とかなりますよ。

 健常者の人からも意見をもらいましょうか。

C:さっきBさんがどんな人であれ、お互いに尊敬できる人が大切だというのをうかがって、私は最近以前に比べて嫁さんのことを尊敬することが少なくなっているかなと反省しました。

 Bさんの話の感想ですが、恋愛となった途端にとても真面目に考えられる方だと思いました。付き合おうかとなっても、本当に付き合う気がないのであれば止めておこうと、普通男やったらとりあえず付き合ってみようかと思うんじゃないのかな。自分だけかな。付き合うだけ付き合ってみて、その先のことは後で考えようかなと思う人が多いと思うんだけども、とても真面目にそういうことを考えて付き合う方なんだなと思いました。

B:例えば僕の場合だったら、手話サークルとか以前やっていましたが、女性の方に手話を教えてほしいと言われて、教えてあげることもありますけども、結局教えてあげてもお付き合いにはつながらないというか、他の男性がすでにいてるとか、そういう場合が多いです。だからそういう意味では、できればお付き合いまでいかないとなかなか恋愛にはつながらない。私の場合、サークル活動の中でのお付き合いの範囲で終わってしまう感じです。

O:私個人の意見として、私は男だから身障者の女性がそういった問題をどう捉えるか分からないですが、極論として私一個人の意見として受け取ってもらって構いませんが、健常者の男性が普通に女性に付き合ってみようかというふうにはなれないんです。だから例えばこういった場所、仲間、友達という関係は非常に広がりやすいんですよね。ところが、皆さんそういうことは聞くことないかもしれませんが、私自身いろんな人と接する機会がありますから、例えば健常者の女性で点字とか手話とかをやっている人、ボランティア活動をしている人であっても、ボランティア活動はしたいけど、ハンデを持っている人とは結婚したくないという意見を聞いたことはあるんです。私は別にそれを聞きたくて聞いた訳ではなく、たまたま飲んで話していた時でした。彼女も若くてそう思ったのかもしれませんが、それを「あなた間違っていますよ。」と言える問題でもないんですよね。個人が「私はそう思っているんです。」と言うのであれば、「そう。」としか言いようがないし、自分はその子に関心を持ってないので「そうなんだ。」で終わる話なんだけど、それは別にその人個人が思っているとは私は思わないんです。他にもそういう人達がいると思います。

 こういう話がありました。神戸の視力障害センターの中で家庭持ちの諸先輩達も多かったです。夫婦でも「わしの目の悪いことを分かってくれない。」と言う人がいました。だから腹が立って膳をひっくり返したこともあると言ってました。また、「やっぱりわしは視覚障害者のハンデを持った人との方が一々状況を説明しなくてもいいから楽だ。」と言う人もいました。逆に「自分は全然見えなくなったら、少しでも見えている人の方がいい。」と言う人もいます。センター以外の私達の視覚障害者の先輩から「視力がいい方ではないから、O君は弱視の方がいいよね。」と言われたことがあります。私はいずれも考えたことはありません。視覚障害を持った者同士でも意見がバラバラなんです。もっと言えば、健常者の方がもっと意見はバラバラだと思います。

 私は視覚障害者はこう言っているとか、健常者はこう言ってるとかいう捉え方はしないで、彼女はそういう意見、彼はこういう意見だというにしか捉えないようにしています。私はあくまでも一人ずつ別人格であって、また人間というのは変わっていくものだから、かつてそういう見方をしていた人がコロッと変わるというのは、誰だってあることだから、私はそういうふうにしか見ないんです。

 私は今客観的な立場から言っていますが、当事者が自分の好きな異性に対して女性は男性以上に好きな異性が現れた時、自分より重度の、例えば女性が弱視で男性が全盲の場合、まだその女性は言いやすいと思うんです。でも、その女性がそれだけ見えていても晴眼者の男性に同じように打ち明けられるかというと、女性は男性以上に悩むのではないかと思います。結局打ち明けた時に、「あなたのことを好きではないので。」とか、「別に付き合っている女性がいるので。」と言われたら「ああ、そうなんだ。」となるけど、自分のハンデを言われたら辛いと思う。ましてや変に気を遣われてハンデのことを口にされず、他の事を理由にして断られたことを後で知ったら、もっと辛いのではないかと私の感覚です。

 私が21歳の時に、ハンデを持った人達で恋愛、結婚について皆で話しましょうというキャンプでの分科会があったんです。皆がそういうことを真剣に自分達目の悪い者はどうやって彼女とかを見つけたらいいんだと話していた時に、私は一般の学校に行っていたせいなのか、わりと「思ったら言ったらいいのではないか。」に近い方なんだけど、でも盲学校というずっと同じ顔ぶれしか知らなかった人が一般社会に出て、出会った異性に対してスムーズに慣れるかどうかというと、私も経験がないので「どうなのかな。」と思ったことがあります。だから、他のハンデを持っている人達もこれは意見を聞いてもらったらいいと思うんだけど、私は普通の人以上にエネルギーがいるのではないかと思うんだけど。

 Dさん、どうですか?

D:私も目は悪かったんですが、普通学校に行っていて、途中で盲学校に行ったんです。Oさんの答えになるかどうか、分かりませんが。

O:答えではなく、Dさんの意見はどうか言って下さったら、とりあえず付き合ってみようとなれる人もいれば、なれない人もいるだろうし、Dさんはどうですか?

D:昔はなれなかったんです。

O:それじゃあ、今はなれるの?

D:今はもう全然違うくらい、昔はひどかったですね。女の子でも声をかけてくれたり、目が悪いと分かっていたから手をつないでくれたりしますよね。それは逆に私は同情というので見ていたから、すぐ手を離してしまったりとか、人の世話になりたくないというのがあったから、自分も付き合うというのはしんどかったです。自分は肩とか肘を持てなかったので、やっぱり弱視ではあったんですが、自分の力で歩きたいというのがあったんです。違う世界の人という感じがあった。皆さん健常者で自分は障害を持っているというのがあったので、諦めていたというか、たぶん声をかけてくれるのは同情だろうなとおもっていたんです。同情、友情、愛情は違うなとたまに思うんです。視覚障害者やから、声をかけてくれるんやろうなというのがあって、幼い頃はそう捉えていました。

 私は視野が5度以内なんですが、女の子とは一緒に歩けなかったんです。肩か肘を持ったら歩けるんだけども、それができなくて、付き合うんだったらそんなしんどいことはやめようと思っていたので、そういう面ではどうせ落ち込むだけ、どうせ失敗に終るだけというイメージしかなかったので、あまりそういうのは内気というか、声をかけられても愛想も悪かったですね。向こうから会話を振ってきても終わらすような会話をしていました。そんな感じで、普通学校にいれなかったというのもあるんです。皆が同情的というか、遠足に行こうとなっても、私はやめておくというタイプだったんです。健常者の中で付いていくのも大変やし、付いていくのに必死で景色とかも見れない訳ですよ。男の子やったら、おんぶしてでも行ってあげるというのが、うれしい反面、行きにくかったり、葛藤がありました。そう言ってくれて行く時もあれば、そういうのが心に残って行けなかったりしてました。

 昔はそういうのがあって、今ではそういうのが疲れてきて、付き合わないと分からないというのもあったし、同情でもいいやと思って、昔だったら愛想が悪かったけど今は変わりました。変わったのは、ボランティアと出会う中で変わっていきました。視覚障害が当たり前、普通学校の時は健常者が当たり前、障害者は私一人しかいてなかったと思います。ボランティアの前だったら言える、隠す必要もないし、ボランティアに来てる訳だし、自分も「肩を持たせて下さい。」と言いやすかった。幼い頃、向こうは福祉的な気持ちはあったにしても、素直になれなかった部分があって、そういうのが疲れて変わった。いろんな面でせっぱ詰まった所もありました。友達もなかなかできなくなってくるし、30近くまでそうだった。30 越えてからどっちでもいいやという、失敗しても成功してもいい部分で開き直れた。それは、こういった視覚障害者のサークルとかのおかげだなと、逆に声をかけてくれたり、連れて行ってくれたりするし、そういう面では変われた。

O:今言っていたのは、友達の部分での付き合いを言っていると思うんだけど、そこからもう一つ一対一、男と女としてといった部分では、さっと「付き合ってほしい。」と言えますか?

D:今は言えますよ。

O:大したものだ。自分から言えるなんて、ええことや。積極的になって良かった話やね。

 Eさんは、どうですか?

E:私は20代前半までやったら、そういう話もあったんですけどね。年上より若い子がええとか、障害は軽い子がええとか、そういうのがありました。話があった時にちゃんとしといたら良かったんだけど、30超えたら縁がなくて、早く嫁さんもらいたいとおもうけど、なかなかそういう縁がないですね。チャンスがある時にある程度自分をよく知っておいたら良かったんだけど、若い子がええとか障害が軽い方がいいとかそういうように思って、結局断ったりしたので、今思ったら失敗やったなと思うんです。チャンスはなかなかないもんで、またチャンスがあったら、いいなと思っています。

D:Fさんは、どうだったんですか?思いを伝えることはできますか?

F:できますよ。

D:過去も?

F:私は高校時代、Dさん以上に見えていたんです。左右共に0.6だったんです。網膜色素変性症だったから、将来どうなるかは分からなかったけど、本を読むにも支障はなかったんです。それが、段々視力が落ち始めました。高2の時に一つ下の女の子と付き合っていて、どちらかというと相手の方から思っていてくれたんですけど、その子と付き合っていく中でだんだん視力の落ち方が早くなってきたんです。

 1年間に0.3まで落ちてきて、0.6から0.3となると半分になるので、一気に先々のことを考えるようになりました。向こうから見れば、眼鏡もかけてないし、普通に見えていた。単なる晴眼者としか思えない。「見にくくなってきた。」と言ってもそれは単なる近眼としか見えない訳です。私はわりとスポーツが得意だったから、体育でも支障がなかったんです。でもそれが、球技の体育の時間にもうはっきりと出てくるんですね。ボールが見にくくなってきたんです。そういった中で将来のことを考えていかないとダメだなと、言いながら実はその高2の時、家のゴタゴタもあって、精神的にも疲れて首つり自殺をしているんです。それで、開き直ることはできたんだけど、その後にその女の子とどう付き合っていくかという時に、いつか自分が将来失明するだろうということを口にすることができなかった。

 さっき、Rさんが書いていましたが、身体的障害は見れば分かるけど、排泄障害はいつか口にしなければいけないと、そのことを私はよく分かります。全く同じ気持ちです。ものすごく悩みました。相手がどうというよりも、自分が0.6、もっと視力があったらしてあげれた、できていたことができないことが増えていく訳です。だったら自分ができなくなったと言わないといけない。単に視力が落ちた、将来失明するかもしれないということだけでなく、具体的にどういうことができないかということを伝えないといけないことに関してものすごく悩みました。悩んだ結果、寅さんの映画やないけど、自分が引いたんです。

 もう付き合うのはやめようと思って、やめたんだけど、向こうの同級生の友達に知れてごちゃごちゃなりました。その子のことが嫌いになって別れたのではなくて、自分がいつかそのことを言わなくてはいけないというのが苦しくて別れたのが本当で、ただ具体的にそういうことを言わずに別れたんだけど、でも相手はそういうことを分からないから、別の捉え方をしたんです。これはいけないと思って、今度は正直に自分の目のことを話したんです。でも、やっぱり分かってもらえなかった。お互い若かったし、相手はまだ15歳だったしね。それは無理はなかったかなと思う。

 結局、目が悪いと言わなければならなかったというのが1回目。その次は、私の最初に結婚問題が出た時で、23歳でした。その時はまた大変でした。視力は0.2ずつ見えていました。

D:視野はどれくらいだったんですか?

F:私は今でも180度くらい、今は正面が分からないんです。その頃は右目も左目もドーナツのように、見えない所がある訳です。お互いに重なった所はなにも見えないけど、それが外れればかなり見えていたんです。だから、その頃というのは杖も必要なかったから、本も新聞も読めていました。

 ところが、進行というのは起きていくから、段々悪化していきました。だったら、いくら結婚しようかという子でも、やっぱり1個ずつ言わなきゃ分かってもらえないということに対して、苦痛になったんです。だから正直、今のように白い杖を突き始めてから自分は見えていないというところから多少光が分かるとか言う方が楽で、まだこれくらいできてるんじゃないのと見られる中でできないことを細かく相手に言わないと分からないでしょ。見える人には疲れました。そういうのはありました。だから語学と一緒で、少しは話せますと言うものではないと思った。全然話せないと言った方が向こうは親切だと思った。

 今は楽やね。白い杖を突いてる方が、見えないんは、見えないんだから。中途半端に見えている時の方が、これしてほしいなと思った時でも、やっぱり言わなきゃ相手には分からない。暗い所になると見えなくて、明るい所だったら見えていた訳で。その時、喫茶店なんかに入った時にパッと分からなくなるんです。自分の付き合っている彼女が分からなくなるわけ。だって、向こうには分からない。そこまで普通に歩いて来て、「どうしたの?」って、なるよね。でも全盲だったら、最初から手引きされてるから普通に手引きされて入るよね。

D:でも、全盲だったらずっと真っ暗でしょ。

F:私の言っているのは、付き合ってる女性に自分の見えないことを一々状況を説明しないといけないという部分だけです。あくまでそこの部分だけ。身体的な問題となると、それはもう見えないより見えた方がいいよ。「誰々さん、美人ですよ。」と言われても、本当かなと、皆がそう言っているからそう思っておけばいいかと、かと言ってどうなんだろうと。

D:人の言葉をあてにしないとダメですよね。自分はそう思わないかもしれないのにね。

F:その人からしたら美人かもしれないけど、自分からしたら美人と違うのにというのはあるだろうね。逆もあって、周りからしたら好みではなくても、自分からしたら好みだったりとか。やっぱり人に聞くより自分で確かめたいといのはあるよね。

O:健常者の方はどうですか? Gさんは、どうですか?

G:さっきの話に出てた障害者やからちょっと自分から打ち明けにくいとか、健常者からはとりあえず付き合ってみようかとかいう話が出てたんだけど、まあどっちでも一緒と違うかと思うんです。健常者でも結局、その人個人の性格というか、健常者でもほんまに好きやけど、言われへんと引いている子もいるし、言える子は言えるし、そのへんはそんなに変わらへんのと違うのかな。もちろん状況は、全然違うでしょうけど。

O:Gさんね、例えば見合いとなるとはっきり出てくるんです。身体障害者に健常者の見合い話はまず来ません。だから視覚障害者には、視覚障害者とか足の不自由な人を持って来るのが普通で、ほとんどそうなっているんです。私は、個人の問題だけではなくて、今までの長い歴史がそうさせてきた部分はあると思うんです。これが将来、北ヨーロッパのようにそういうことを気にしなくていい、私はそういう国が大好きだけど、Gさんの言う通りで当たり前に気にしなくていい時代が来るのが理想です。好きになったら、言うたらええやないか、そうやと思う。今はまだ難しい要素がまだまだ大きいというか、だから将来はおっしゃる通りやと思います。

 Aさん(視覚障害者)の所にお見合いの話が来たのは健常者ですか?

A:いいえ、視覚障害の女性です。

O:そうなんよね。私も自分は見合いする気は全然なかったけど、周りがどんどん写真を持って来てたりしてたけど、全部障害者。一番に何を言うかというと、この人はこういう性格ではなくて、「手の不自由な人だけど」、「足の不自由な人だけど」とかから入ってくるんです。その人の人間性は後になっていて、相手が健常者でも、離婚歴があるとかね。私はなんとも思っていなくても、周りがそんなふうに作ってきた所もあって、私はそういう所から入るのが嫌だったから、もっと自然でありたいと思ったから。私の場合は、ハンデを持った女性とお見合いをして、私がその人とたまたま人間的に合わなくてお断りするのは、まだ気が楽なんです。

 でも、私がそう思っていて誠意を持って伝えても、女性がそうとってくれるかどうかは分からないじゃない。自分は手が不自由だから断られたんだと思われたら、私はそんなに人に断るだけの人間的に立派じゃないから、ましてや相手のハンデを嫌がって断る気もないし、だからと言ってきれい事ですまないこともあると思う。その人の人生も大事だから、私は自分で自分の嫁さんは自然体で探そうと決めてきた。それでこれだけど、まだまだ社会というのはこういう感覚があるよね。

 それは、身体障害で言えばそうだろうし、学歴的な部分も似たような所もあるかもしれない。大学出の女性には、大学出の男性の見合い話を持って来るというか、中卒の人が全然悪い訳でないのに、中卒の男性に四大卒の女性の見合い話はなかなか来ない。それがまだまだ根強い。本当はよくないと思うけど、将来的には崩れてもらわんと困ると私はそう思っている。

 次の方はどうですか?

H:私が今の施設で働いて何年か経った時に、利用者の方と話をしていた時に、どういうように質問されたかは、はっきり覚えてないけど、男性が2,3人いてて、私に「視覚障害者と付き合えますか?」と聞かれたか、「結婚できますか?」というような質問をされたんです。私自身、まだその時は今より若かったので、結婚とかまだ全然考えてなくて、まだまだ先の事と思っていて、ちゃんと考えてなかったんだけど、でも自分の中では障害とかでは関係なく、自分が好きになった人と一緒になりたいなと漠然とだけど思っていて、そういうふうに答えはしたんです。ただ答えながらも、自分の中で実際はどうなんやろうと、その時ずっと心の中であって、今は今でいろんな人の話を聞いて、自分が好きになった人、その人、人の生き方とか、人やから好きになったら関係ないのと違うかとその時の自分よりは強く思えるんですけど、そういう質問をされたなと皆さんの話を聞いていて思い出しました。その時、やっぱり質問された男性は私より年上だったんですけど、それなりに恋愛とか結婚とか考えておられた方だと思うんです。だから、その質問の意味の重さというか、私はそれに答えるのが精一杯で本当にその人達のためを思って言っている答えなのか分からないけど、すごく意味のある質問をされたんだと思います。

O:次の方は?

I:結婚の話で、今お見合いの話とか出て思い出したんですが、私がちょうど大学生の頃、周りの中にはバブル時代によく3高とかって言われてましたよね。高学歴、背が高い、収入もそこそこ水準以上あって、結婚するならそういう人がいいと、周りではそういう子が多かったんです。はっきりいって2流、3流の大学卒の子はパスという子もいてました。私はそれを聞いていて、どうなんかなと思ってて、彼女らの言い分に流された所もあるけど、でもやっぱり思い返したらそれがすべてなのかな?と思います。そう言っている子は、生活の安定がどうのこうのと言い出すんであって、私も口では「そうやね。」と言いながらも、それだけでいいのかなと、私はそれで全てと決めてしまっていいのかなということをずっと思っていて、学校卒業して社会人になって、いろんな人とふれあうことによって、そういう考えが間違っていてすごく恥ずかしいとうことがよく分かって、要は外見上、肩書き上のことではなくて、気持ちと気持ちのつながりというの大事なんじゃないかと思っています。

 今、現にそんなこと言われたら、今でもそう言っていた同級生の中には、学歴とかにこだわって、結婚するチャンスを逃している子とか、それでいて「私、結婚できない。」と嘆いている子もいてるんですね。そう言われたら、私の主人は皆さんご存知の通り作業所の職員であって、決して一流企業に勤めているわけではないし、かつてはそういう所にいたんですけど、私と知り合ってすぐ今の仕事に変わって、そんなこと言うてたら私の主人のことやら生活状況が否定されれてるのかなとか、思ったこともありました。決してうちの家も経済的に余裕があって豊かでお金がボンボン入ってくる暮らしはしてないですけど、それでもやっぱり結婚して家族で一緒に走歌やいろんなことに取り組めて、それがすごく私にとっては良かったなと思います。

 相手が障害者ということについては、あまりうまく言えないが、お互い障害を持っていたり、どちらかが障害を持ちながら結婚生活をしている人達を何組か見て来ているが、何年も結婚生活を送っていたらいろんなことがあるんですけども、それぞれにその状況、状況によって、私の周りでもがんばっている人がいるから、すごく励みにもなるし、刺激を受けることもあります。相手が障害を持っているかどうかではなくて、お互いの心の問題、障害者に対する世の中の偏見というのもあるし、またその社会自体に欠陥があるんじゃないかと思います。

 

O:Jさんは、どうですか?

J:皆さんいろいろ経験されてていろんな思いがあって、私は見ての通り一人者ですけど、一番最初に「この人は考えは真面目だし、価値観も私と同じでいいな。」と思った人と付き合って、遠距離恋愛もしましたけど、そういう人に裏切られて、それから私は考えが変わったというか、こういう真面目なひとでもこういうことになるんだ、男の人ってそういう者なんだと思ってから、正面を向き合えないというか、自分からは積極的に好きにはなれないというか、相手が言ってきたらちょっと自分の中で値踏みして、自分がある程度の年になってそろそろ結婚しなくちゃいけないかなと思った時には、3高じゃないけど、いい会社に入っているし、いい給料ももらっているからこの人にしようかなと思ったこともあったんですけども、やっぱりできなくて、その人には「努力したんですけども、ダメです。」と断ったことがあるんです。それから自分の中で27歳までに結婚しなかったら結婚をやめようと思って、大阪に出て来て25年が経ちました。

 で、現在に至って、今もうこの年になると今更結婚がどうとかこうとかではなくて、自分は自分で自分の好きなようにしていこうと思って、現在そのようにして実行してきて、これからも実際に言えば、自分が心からいいなと思える人に巡り会えなかったから、こうなってるんですけども、これから先は自由に、そのためには自分で努力して、自分の人生を悔いのないように人に迷惑かけないように生きていきたいなと思っています。

O:レポートをいただいた方の感想や意見はありますか?

J:人の話を聞いていると、うらやましいなと思うけども、自分のことにはつながらないよね。

O:でも、QさんもUさんの奥さんもJさんの年ぐらいから始まっているから、人生って分からないよね。Uさんの奥さんが言ってた通りやと思う。あれだけのハンデや状況があって、自分はもうないと思っていて、突然一年がかりで口説かれていくというのは、素晴らしいよね。果たして、結婚を早くしたからとか、遅かったりとか関係ない所で出会いというのは、素晴らしいと思ったけどもね。

E:男の人は30いくつで、女の人が50いくつで、結婚されたということで、よっぽどその女の人を好きになったんやろうなと。私はどっちかというと年齢にこだわる方やから、自分では年下と思っているから、逆に年がかなり上の女の人と結婚されたということは、やっぱり相当好きになったんだと思って、そうじゃなかったらそんなに年の離れている人となかなか結婚というまでは、ましてや30いくつやったらまだ若いし、もっと他にもおるやろうなと思うから、その点すごいなと感心してます。

O:テープの中には入ってないんですが、その後で3人で話していた時に、私の知っている健常者なんですが、何人か集まっていて、その横で「この二人、いったい何を考えているんだろう。」とさんざん言われていたそうです。私はあんまりそう思っていなくて、本人らが子供じゃあるまいし、もう30代と50代の人がそれなりに大変な思いをしてきた人が、そうやって踏み切るというのは、全て分かってのことやから、周りの人間が分かるものではないし、二人に流れてる愛情というのは、当人だけの問題やから。

E:逆の場合は聞いたことあるけどね。男性が年上で、女性が20年下というのは。

O:実は、作業所作りの仲間にもう一組あるんです。それこそ彼らは、兵庫県でも1,2位の進学校を出ていて、これから親達はものすごく期待をしていたわけです。その奥さんは子供が二人いてて、一回り以上上だったんです。私はその夫婦をよく知っていたから何も思わないんだけど、結婚式で横にいた人が「何を考えてるんや。」と私に言うんです。本人らは楽しくやっているのに、「結婚式に出て来ておいて、もうそんなこと言うな。」と言うんやけど。

 でも彼らもすごく大変やって、彼の方のお母さんが「うちの息子を騙さんとってくれ。」と毎日嫌がらせの電話をかけてきてたんです。でも、私達はよく知っているから、そんな人を騙すような人でなくて、だからその女性が「自分は子供もいるし、自分より10いくつも年下の男性やから、彼は将来あるから私は身を引こうと思った。」と、それを私は知っているんです。

 でも、身を引いてはいけないと言ったのは、私達周りの者なんです。二人はきちんと社会の中で生きているし、自分達だけのことを考えている人達ではないでしょ。私達、ハンデを持っている連中もやっぱり応援したいなと思ったから、結局その結婚式にはご両親は出て来なかったんです。でも、めちゃくちゃ盛り上がりました。横でつまらんことを言う人もいてたけど、そこまでやって来たご夫婦はいつまで経ってもいい家庭。いつ行っても仲がいい。年がどうのこうのというのは、周りが言うことであって、当人からしたらそんなこと考えていませんよ。

 私も自分の彼女が普通の一流企業のOLなんですけど、周りがそういう人達ですよね。その企業に勤めている人は、そこそこ学歴も持っている男性ばかりですよね。視覚障害者と付き合っていて結婚したいと思っていると言った時には、周りは「何で?」と言ったそうです。そこばかりを見るんですね。視覚障害者の人と何で結婚したいの?というのが、その結婚したいのは別に視覚障害者を求めていたのではなくて、たまたま視覚障害者だったというだけのことなんだけど、要するに言ってる人達は、そこからの尺度で入っていくんやね。だから本人らは自分らの人を見ていく時の価値観は、このレベルでしか見ていないと言ってるわけだけど、本人らはそれを普通だと思ってしまっているというか。だから、このテーブルを囲んでいる人達とちょっと物事の人を見る見方が違うというか、むしろ気の毒やと思うけど、まだまだ多いよね。

 他の方はどうですか?

A:Rさんのご主人も障害を持っておられるんですよね。

O:同じ障害ですね。

A:やっぱり女性から積極的に男性にというのは、日本だけに限らず、世界中そうかもしれないけど、自分のハンデを持っていて克服していくのは、素晴らしいね。お互いに障害者同士で理解しあって夫婦としてやっているのだからね。

O:Rさんは、手紙の通りいつもルンルンですね。

A:明るいよね。

O:今、幸せというのが文章に伝わって来ますよね。

A:過去にいろんなことがあったけど、今幸せ。Pさんでも、体が調子悪くならなかったら、手紙を書いて告白しようとされていた。相手の女性がどこまで真剣に捉えてくれていたか。愛生園に帰ることになったから分からないけど。思春期、皆多かれ少なかれ、一度や二度は考える時がありますよね。それが、うまくいくかどうかは別として。

D:私は、成功例を聞くことができて良かったです。失敗例を聞くと落ち込んだり、悪い方に考えたりするので、成功例を聞くと自分には結びつかなくても、考え方が変わりますよね。

 ただ、年金での生活の金額、経済的なものが気になりますね。

O:おそらく、それぞれ8万ほどと市からの補助が1万ずつで、二人たして18万くらいですね。

D:経済的なものは気になりますね。

O:Dさんを養いたいという女性が出て来るかもしれませんよ。

Dさんの言う通りで、こういう場で失敗例を出してしまうと、重くなってしまうので、話が進まないですよね。特に、Rさんと話していた時に「状況はいろいろあったかもしれないけども、いいこともあるということ。決してハンデは大変かもしれないけれども、不幸せではなくて、幸せもあるということを私は知ってほしかった。身障者の恋愛や結婚というと、悲劇ばかりではなく、きちんと喜びを得ている人達もいるということを知ってほしい。実例を持って伝えたい。」とおっしゃっていました。

O:今日は、4組の方からレポートをいただきましたが、夫婦と言うのでは一番新婚の所から意見や感想を聞きましょうか。

H:皆さんの話を聞いて、改めて大切にしていかないといけない部分というのを話の中でいろいろ考えさせられる部分がありました。Rさんは、いつも明るい姿しか見てない、その頃しか出会ってないから昔の悩んでて友達から言われたことがきっかけで、考え方が変わって、そういうのがあって今のRさんがあると分かったし、Sさんだったら出産で自分の体、脚がどうなるか分からない不安を抱えて出産だけでもいろんな不安があると思うんですけど、そんな中でお二人のお子さんを産んで、育ててという部分に考えさせられます。でも、皆さん今の生活が幸せで。私自身もこれからの生活がどうなるか分かりませんが、大変な中でも明るく生きていっている方々の話を聞けて良かったなと思います。

O:Gさん、どうぞ。

G:今日、聞かしてもらった話、どの家庭でも相手のことを思う真剣な気持ちがあれば、どんな困難、障害や壁も周りからの目とかもお互いの強い気持ちがあれば、なんとか乗り越えて、後からそういうこともあったなというぐらいの感じで乗り越えていけるのかなと。僕らも新婚でこれから喧嘩したりもめたりとかいろいろあるでしょうけど、相手を傷つけるようなことも言って、後から後悔していろいろその時々でいろんな気持ちが出て「ああ、言ってしまった。」という時もあるだろうし、「良かったな。」とうれしい時もあり、いろんな波があるやろうけども、そういうのを繰り返して苦しい時もあると思うけど、お互いの強い気持ちがあれば、何とかやっていけるんじゃないかなと思います。

O:Cさんは?

C:私は今日、誰の話というのではないけども、全体的に恋愛とかの問題に関して、健常者と障害者、やっぱり違うのはうまくいかなかった場合のダメージの大きさが違うのかなと思いました。私も41歳まで結婚できなかった者なので、いろんな悲しい思いもしてますが、私も若い頃はそういう面では引っ込み思案な人間やったんですけど、大分年をとってからこんなことではあかんと思って、好きやと思った人には正直に好きやと言おうとしたし、いろいろそういうふうにしていって、中には私をからかうつもりで、そんな話をしてきた人もいて、ずいぶんひどい思いはしたと思いますけど、そんな時でも私はたまたま健常者でしたから、昔の大学時代の友人を呼んで、酒でも飲んで「こんなひどい目にあった。」と自分を笑い者にして、しばらくして数打ちゃそのうちいい子もいるわと立ち直れるんだけど、障害者の人が私と同じような目にあったら、私の何倍ものダメージがあるだろうなと、今日の話を聞いて思いました。私はまあそういうひどい目にもあいましたけど、そういうことを繰り返しているうちに、やっぱり巡り会いもあったし、それをせんことには何も始まらなかったと、たぶんずっと一人者やったと思うし、そういう意味ではダメやったらダメやったでかまわへんという気持ちでいった方がいいと思います。

O:Tさん、どうぞ。

T:結婚して私も8年経ちましたけど、今まで出た通り山あり谷ありあるのは障害者であれ、健常者であれ、同じことやなと。そこの夫婦によって穏やかな波か、激しい波かというのはありますが、人間の顔が 一人ひとり違うように結婚に至るまでの道のりや結婚してからの生活状況とかはいろいろあるし、周りを見てあの人がこうしてるから自分もというのではなく、みんなそれぞれの夫婦でそれぞれの生活をしていったらいいと思う。

 中途障害者の夫婦というのを身近に見て来てて、結婚した時はお互いに健常者で、ご主人の方がある日突然障害を受けて職も失って、これからどうして生きていこうかとショックを受けて、ご夫婦ともに悩まれて、ある時奥さんの方がこのまま生きていてもしょうがないと包丁を取り出されて、でもご主人の方が「それだけは嫌や。障害を持っていこうと、どんなことがあろうと二人でとにかく自分は生きていきたい。」とおっしゃったそうです。うちの主人の勤めている作業所の利用者の方の話なんですが、今は夫婦ともに前向きに生きておられるということで、紹介しました。

O:どの程度の障害の方なんですか?

T:くも膜下か何かで、脳の障害を受けて、それまでバリバリ働いておられたのが、50歳過ぎて倒れられて命はとりとめたものの、記憶障害などの後遺症が残って、ある日外に出かけて自分の居場所が分からなくなったとか、買い物に行って迷子になって家に帰れなくなったりとかの経験もされていて、ついさっきの5分、10分のことが覚えられないということです。

O:Kさん、どうぞ。

K:自分のことでいいですか?障害者の方のハンデと比べ物にならないと思いますが、私自身がハンデといったら両親に申し訳ないですが、一人っ子というのが自分の中の壁です。学生の頃は、家を出て行くしバイバイという感じやったんですが、おじいちゃんとかからは、「婿、とってもらわなあかんしな。」と最近よく言われるんです。そういうお墓もあったりとか、家を出られないとかがあって、いろいろ考えてしまうというのはあります。お話を聞いていたら壁も乗り越えられるのかなと思います。

O:人それぞれ持っているものは、当人でないと分からない。そばにいてても兄弟でも分からないものは分からないし、自然体でいれば何とかなるんじゃない。その考え方でいいよ。

 どういうような話になるか分からないと思っていましたが、やってよかったなと思います。どうだったでしょうか?

A:顔ぶれを変えてまたやってみたいですね。

(おわり)




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